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地震対策30点避難セット 導入&使用事例 - 社会医療法人ましき会 益城病院

地震対策30点避難セットを患者・職員用に500個購入。まさか使うことになると思いませんでしたが、熊本地震直後2日間の極限状態を生き抜けました。

地震対策30点避難セットを導入していた社会医療法人ましき会 益城病院は、2016年の熊本地震で深刻な被害を受けました。現場で指揮を執った理事長 犬飼邦明氏、法人事務局課長 佐伯貴志氏に、非常時において地震対策30点避難セットが実際にどのように使われたかを聞きました。

(益城病院について)

熊本県益城町で210床の設備を持つ地域に根差した医療施設です。精神科・心療内科・歯科の診療科で約250名のスタッフが働き、うつ病や認知症など幅広い精神科医療を行っています。

(熊本地震と益城町)

2016年4月14日の21時半頃を皮切りに、熊本県と大分県で相次いで発生した熊本地震。その中でも震度7を観測し、甚大な被害が出た地域が熊本県上益城郡益城町です。

一連の出来事まとめ

2011年 東日本大震災発生
2012年 益城病院が地震対策30点避難セットを導入
2016年 4月14日21時26分 熊本地震発生
2016年 4月15日 益城病院の患者199名全員退去
2016年 4月16日1時25分 熊本地震 本震発生
2019年 益城病院移転(予定)

熊本地震にて199名の入院患者がいる益城病院が被災

― 震災の時は本当に大変だったと思いますが、状況を教えてください。

9月14日21時26分に震度7の地震が益城病院を襲いました。病院は床がグネグネするような感じで大きく揺れ、部屋の中では棚が倒れ、書類や機材などあらゆるものが散乱する有り様でした。電気も水道もダメで病院としての機能は完全に停止し、病室にいた患者さんたちはその後も続いた余震に怯え、本当に不安だったと思います。

病院で定期的に行っていた避難訓練の通り、まず一時避難ということで広い1階のロビーに患者さんたちに集まっていただきました。その時、地震対策30点避難セットもロビーに集めてから一夜を過ごしました。逃げ出す時に、避難セットをすぐに持ち出せるよう準備しておいたのです。

夜明けになり病院機能や電気、水道も復旧の目途が立たないということがわかると、我々は患者さんたちを安全な場所に移動させることに決めました。明け方から家族や受け入れ先へスタッフ総出で連絡をし、幸いなことに15日の夕方くらいまでに199名いた患者さんたち全員が転・退院することができました。迅速に対応できたことは、正直ホッとしました。その時、退去患者全員にこの避難セットを背負うよう指示を出しています。

被災した院内での復旧作業時には
白いバッグに所属と名前を書いて使用した

震度7の凄まじさが伝わる倒壊した階段

院内のいたるところに段差ができた

実際に避難セットを活用することに

― ここで避難セットが使われたわけですね。

はい。何しろ入院患者さんたちは、自分の所持品がほとんどありません。皆さん、避難セットだけを持って退去していました。自分の水や食料が少しでもあるということで、非常に安心感を得られたと思います。

ですが、その後16日の深夜1時25分に本震(2回目の震度7)が発生しました。その時は患者さん全員が転・退院していて誰もいないわけですから、ほとんどの職員が家にいて、当直員が2〜3人いた程度でした。本震は1回目の地震を凌ぐ大きな揺れで、建物の基礎部分が歪むなど、建物へのダメージも深刻でした。本震の時に病院に人がいたら、死傷者が出た可能性は高かったと思います。

なにせ本来開くべきドアが開かない。建物が明らかに傾いている。30センチメートル以上も地面がずれているといった状態です。幸い、うちの建物はなんとか建っていられましたが、完全に倒壊したという病院もあったようです。

うちの患者さんの一部は前日に17の病院に転院していただいたのですが、今度は受け入れ先の病院が本震で機能停止となり、また別の病院に移ったという話も聞きました。その病院も備えをしていましたが、この避難セットはなかった。うちが配布した避難セットは非常に便利だったので、その後も患者さんたちは肌身離さずこの避難セットを持っていたということです。震災を機会にこのバッグのデザインはかなり注目され、評判になったと思います。

職員全員に避難セットを背負うよう指示

犬飼理事長の指揮のもと懸命の復旧作業が続く院内

実際に避難セットを使用してみて

― 避難セットはどんな使われ方をしたのでしょうか。

本当にいろいろなことに役立ちました。特に感じたことをいくつか説明いたします。

1.なにより「水」に救われた
断水状態でしたので、全員に自分で自由に飲める水が行き渡っていたのは本当に心強かった。生命維持のための水分というのもありますが「自由にいつでも飲める水」が手元にあるということは、とても安心に繋がります。退去時にみんなが落ち着いて迅速に行動できたのも、セット内の保存水があればこそだったと思います。

2.バッグのデザインと機能性が抜群だった
バッグから中身を取り出す際、ファスナーの開き方が足りないと中身がわからないが大きく開きすぎると中身がでてしまう。この非常持出袋はほどよい開き方で実用的でした。これは本当によく考えられている。スタッフ全員がずっとこれを背負い続けていましたよ。水を使い切ってしまってからは、中に入れるものを各自で入れ替えて持ち運びしていましたが、筆記用具や携帯などを入れるだけでも役に立ちました。そばにあるだけで“お守り”のような安心感があると言ったスタッフもいました。

また、このバッグが白くて目立つというところも良かったですね。大きな地震が過ぎた後は復旧のために病院内に大勢の人がやってきました。その時に現場はかなり混雑するわけですが、ボランティアや電気水道などのインフラ会社の方々の中から、うちの病院スタッフをバッグで見分けられます。さらにその時はバッグにマジックで大きく「理事長 犬飼」などと所属と名前を記入して、外部の人にも見分けが付くようにし、円滑な復旧作業の助けになったと思っています。

3.軍手・レジャーシート
復旧作業時に軍手は必需品ですし、大勢が行き来して床も汚れてしまうのでレジャーシートは実用的でした。

4.ダイナモ多機能ライト
夜間動くためにはLEDライトが非常に役に立ちました。電気が使えなかったので、携帯の充電にも使用しました。足りない物資を連絡するのにショートメールを使っていたので、通信手段の確保は必須です。

5.アルミブランケット・レインコート
今回は気候のいい春だったので使わなかったが、冬であれば防寒対策としてアルミブランケットが、雨が降ればレインコートが必要となったと思います。

熊本地震で役立った地震対策30点避難セットを導入した経緯

― 避難セット導入した時のことを教えてください。

2011年に東日本大震災があり、これまでの防災の常識が覆されたことが発端です。東日本大震災まで、病院の一番の災害は「火事」だと考えていました。燃えている場所から安全なところに避難して、消えたらまた戻ればいいという考え方です。

ところが、大地震で建物自体が崩壊してしまうという事態を目の当たりにし、どこか安全な場所に行けるまで生き抜かなければならないということに気付きました。これはサバイバルです。

そこで、職員も患者も自分の身は自分で守るようにしなければいけないと考え、2日間生き抜くための装備を探しました。

地震対策30点避難セットを選んだ理由

― なぜ数ある製品の中から「地震対策30点避難セット」を?

当時もいろいろなグッズがあったのですが、我々は以下の点に注目しました。

1.背負える
両手が空くことでいろいろな便利さが生まれるし常に身に付けておきやすい。

2.取っ手の畜光材で夜間も見える
個人的にこれは便利だと思い重視したところです。実際の震災の時にも暗闇で光ることで設置してある場所をすぐ認識できました。

3.軽くてコンパクト
女性でも一人で運べるものが実用的だろうと考えました。他社製品には大きいものは多かったのですが、この製品は内容物と大きさのバランスが良かったです。

― 500セットの一括購入はかなり多いですがその理由をお聞かせください。
当院は210床あるので入院患者全員分と、さらに職員が100人くらい。プラス職員たちの自宅にも置いておけるように約200。合計して500です。もちろんコストはかかりましたが、職員の福利厚生という点で安全面をサポートするのが大事と考えました。

導入後の配備状況について

― 導入後の管理はどのようにしていましたか。

病棟の階段の壁にフックを付けて、すべて壁に掛けておきました。数が多いため、職員からは「邪魔になる」とか「倉庫に入れませんか」といった意見もありましたが、避難グッズなのだからいつも目の届く場所になければ意味がないということで、この場所に落ち着きました。自宅用の避難セットをもらったスタッフたちの感想も「まあ、あるといいかな」程度のものでした。まさか本当に使うことになるとは、私も思っていませんでしたけど。

私は常に安全対策は1つだけではダメという考え方でして、1つがダメでも2つ目、2つダメでも3つ目というように、何かが使えなかった時のことを考えて2重3重のセーフティを用意しておきたい。もちろんキリがないのですが、可能な範囲で対策は用意しておきたいと考えています。

もちろん病院としては、避難セット以外にも防災対策はしています。いかにしてライフラインを保持するか。水は井戸水と上水両方を使えるようにし、電気も長時間使える補助電源を用意しています。さまざまな対策の中の1つがこの避難セットです。今回の件で、知り合いの病院もこの避難セットに興味が出たようで、サンプルとして1つ持っていきました。導入を検討しているようです。

避難セットは現在でも
病院の階段に用意されている
被災時の教訓から、すぐ背負えるよう
ショルダーを手前に設置

医療機関の方々に向けて

― 地域医療の担い手としての備えという考えもあるのでしょうか。

そうですね。例えば大きな災害時に、この周辺に病院という堅固な建物だけが残っているということであれば、多くの人が押し寄せてくるでしょう。その時に医者として人間として、できうる限り最善を尽くしたいと考えています。

地域の方々と共存という点では、医療機関としてというよりは、地域の一部としての機能も必要かもしれません。多くの被災者からの情報を集めて、必要なモノ、足りないモノを手配する調整。これが一番大事です。災害時に足りないものがあるのは当たり前なので、それを伝える手段やネットワークを確保することは非常に重要だと感じています。

その足りないものが届くまでの時間を稼ぐ、生き延びるという意味で、この避難セットの役割は非常に重要なものになると思います。

熊本地震から1年が経過して

― 現在も地震の傷跡は多く見られるようですが。

そうですね。実はこの病棟は傾いたままですし、地下にあったインフラがすべて地震で使えなくなったため給水や配電は未だに応急です。段差ができたところにスロープを作ったり、危険になった建物を取り壊したりしました。あんなに大きなCTの機械も倒れて、業者さんが本当に驚かれていました。建物が受けたダメージは深刻なので、2019年には病院を移転することになっています。

― 今後の防災への用意はいかがですか。

被災前と同様に、避難セットを階段の壁に掛けています。中身はあの時入っていたものと若干異なりますが、患者さんとスタッフの命を繋いでくれたものなのでこれからも用意しておきたいです。

噂が絶えない「南海トラフ地震」は特に心配していますが、とりあえず2日間生き抜くために、避難セットは必需品です。もちろん、これ以外にもあったほうがいいものもたくさんあります。建物が歪んで開かなくなったドアを壊すバールや斧とか、頭を守るヘルメットとか。本当にいろいろ学びました。

― 避難セットの購入を検討されている皆さんへアドバイスをお願いします。

震災後に、当院では広報誌や講演などで災害時のことを広く知っていただくための活動を続けています。実際に役に立ったもの、準備しておいたほうが良かったものなどを体験談で伝えていますが、この避難セットのことは様々な場所で紹介しているほど、あってよかったもののひとつです。備えておくと安心できると思います。

被災の知恵を明日へ〜熊本地震から学んだこと〜 益城病院事務部次長 宮崎 翔

益城病院広報誌Rebornの誌面で紹介されました


※取材日時 2017年8月
※文中に記載されている情報は、いずれも取材時点のものです。

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